STATEMENT
量子力学における存在や実在、物質世界の構造をテーマに、半導体を用いた作品を制作している。
量子力学は、原子や分子など極微なスケールでの物質の振る舞いを記述する物理学である。現代物理学の基礎となる最も重要な理論で、化学をはじめとし生物学や医療、科学技術に広く用いられている。にもかかわらず、量子の世界で発現する数々の現象は我々の直感に反しており、非常に奇妙である。量子力学の誕生から約100年を経た現在においても、その解釈は課題として残されたままであり、哲学を巻き込んで様々な議論が行われている。
例えば、物質は「粒子」と「波」という相反する二つの性質を持つことが知られている。著名な実験である電子の「二重スリット実験」では、二つのスリット(細い穴)を通った電子が互いに干渉し、縞模様を呈する。これは「波」の顕著な性質である。この実験で、電子を"一粒ずつ"スリットに発射しても、この干渉縞は生じる。これは、電子を粒子として考えると、一粒の電子が二つのスリットを同時に通り抜けていることになる。では電子はどちらのスリットを通ったのか。それが分かるようにスリットを通り抜ける瞬間の電子を観測し、再度実験を行うと、干渉縞は現れない。観測により電子の「波」が崩壊し、広がって存在していた電子が局所的な粒子として振る舞うのだ。
これは量子の特徴的な性質である。物質はあらゆる位置に存在する重ね合わせ状態であり、位置は原理的に確率でしか分からない。そして観測されると位置が確定する。量子のこの性質は、二つのスリットを同時に通り抜ける現象も含め、「存在」とは何なのか、この世界がどう構成されているのかという問いを投げかける。他にも、壁をすり抜けたり、二つ以上の粒子の片方を観測すると他方の状態が瞬時に変化したりと、量子には共通して「存在」というものに対して疑問が生じる。これらは人間では知覚できない極微なスケールでの現象ではあるが、あらゆる物体、自然、我々の身体など世界の全てがこの量子で構成されている。
私は高校時代にこの量子力学に興味を持ち、大学でその理論を専攻し学んだ。このことが作品の原点となっており、本来は科学や物理学の世界での議論であったものを、美術作品として提示することで、鑑賞者がこの世界について考えるきっかけになるのではないかと考え制作に取り組んでいる。
制作に使用している半導体は、この量子力学によって理解され発展してきた歴史がある。半導体は、スマホはもちろん、PC、家電などほぼすべての電子機器に使用されており、ATMや電車の運行、インターネット・通信などの社会インフラも支えている他、高速・大容量通信やSNSの普及に至るまで、現代の情報化社会の基盤となっており、時代を象徴するプロダクトである。すなわち、量子力学について最も身近で人類への影響が大きいもののひとつが半導体なのである。
物理学者を含め、誰一人理解していないが使い方だけは分かっている、という奇妙な量子力学によって、現在の便利な生活があるということと、なじみ深いが実物がどんなものか知られていない半導体の視覚的おもしろさを、量子力学と半導体の共通項として考え制作している。
作品には、半導体チップとして裁断される前のシリコンウエハーという円形の板を粉砕し、得られた無作為な半導体チップを使用している。これを支持体に大量に並べ、樹脂で固めている。モチーフは量子力学に関連する実験を模したものや、その性質を暗喩するものが多い。また、支持体を黒く塗ることで、樹脂の反射により鑑賞者を含む世界がぼんやりと映し出され、半導体に囲まれて生活している我々の時代性を演出している。何気なく生きている我々の世界の構造に迫る量子力学の観点を示し、鑑賞者の世界の見え方が変わるような作品を展開していきたい。